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岐大生はケチではない .

(思っていないことを話す.匿名投稿である.)

その理由は単純である.535,800円を軽く考えられるからである.

これは岐阜大学の一年の授業料である.(大学にかかるお金は実際は年換算で60万円を軽く超えてくる)あなたはこの記事を最後まで読めないかもしれない.図星で耳の痛いことを聞くのは嫌だからである.

 私は怒っている,この大学の授業の適当さにである.これは教員にだけ向けられたものではない.いい授業は聞く側が特に重要な要素なのだ.ああ,なんやこいつ,今君はそう思ったかもしれない.しかしどうだろうか.問いかけても誰も反応はしない,歩いて回ってみれば他ごとだらけ,力を注げば面倒なやつで面倒な授業だと罵倒され,授業を30分で終われば賞賛される.授業評価には単位修得の割合も見られ,さらには*自分の単位修得の可能性がないと判断した学生は,その原因を授業の悪さに帰属するため,授業を非常に低く評価する.(*2005 牧野幸志 の研究論文にも示される.)授業が悪くなるのは自然であろう.教える側も普通の人間である.それを忘れてはいないだろうか.画面を見ている気になっていないだろうか.皆がよく反応し意欲を見せれば授業はどんどんいいものになっていき,そうでなければ無論逆のことが生ずる.教員にももう少し労力を割いていただきたいと感じることもある.授業の下手さを教員免許の有無などの理由で終わらせて欲しくはない.私はこの現状には不満がある,何故ならば私は君と違いケチだからである.お金も時間も人生で有限である中でそれを無駄にはしたくない.

 2つ目に言いたいことである.よく大学生が就職して社会や会社に対し文句を言っているのを耳にする.しかし私に言わせれば”何を当たり前のことを”である.学生時代にそんなにちゃらんぽらんに過ごし給料が高くない?仕事が辛くて仕方がない?彼らは一体どれだけ将来稼ぐための努力をしたのだろうか.興味のないことを仕事にしないための努力をしたのだろうか.もちろん全ての人に言っているわけではない.やる気さえあれば返済不要の奨学金がもらえる時代である.クラウドファウンディングでの資金調達もできる.多方面に渡るイベントが数え切れないほど転がっている.大学では人も場所も機会もたくさんある.社会は我々が活躍できる場を提供しているではないか.それを活用せず知ろうともせず何も考えず授業では質を粗悪にして周りのモチベーションまで下げて毎日を過ごし何を文句を言っているのか.さらには文句を言うだけ言って自らの行動は変えない人までいるのである.自ら動こうともせず思うようにいかず不満ばかりを言う人生.それはその人にとっては楽しいのかもしれない.話がずれるのでこの辺にしておく.

 繰り返すようであるが私は何も全ての人に言っているわけではないし,全ての授業を100%の力で受けろと言っているわけでもない.人生の目的が楽しむことであるとするならば,それは手段と目的を取り違えてしまうことになりかねないからである.筋の通った理由があっての行動なら良いがそうでないならば考えや行動を改めることも必要なのではないかということである.

 どうだろう,提案があるのだがここで1つ皆で授業をより良いものに変えていかないか.

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